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2017年06月03日

労働者間格差は解雇要件の大幅緩和で解決に向かう

正社員と非正規社員の格差が問題になっている。
この話題になるともっと正社員を増やすべき、という人がいるけれど、視点がミクロ過ぎる。

個人の問題に限ればそれは雇用が保証される正社員という立場のほうが魅力的なのは当然だろう。
企業の側に立ってみたら、社会全体の視点でみてみたら、というのが抜けている。

この問題の根本原因ははっきりしている。
正社員が守られ過ぎなのだ。

竹中平蔵氏が正社員は既得権益、と喝破して批難を浴びたが、半分以上は正鵠を射ている。

日本においては正社員はよほどのことがなければ解雇できない。
おいそれと解雇しようものなら裁判を起こされたりもする。

なので苦慮した大企業は追い出し部屋なるものまで作って不要な正社員を自主退職に追い込む。
完全に歪んでいる。

そもそもの大前提として、雇用を数十年に渡って保証することなど無理なのだ。
事業がどうなるか分からない、会社自体がどうなるか分からない、そうなったときに人件費を削減できないなんてどうかしてるのだ。

でも人々はその無理を望む。
だから企業側は正社員の雇用に二の足を踏み、容易に解雇できる派遣社員を雇うのである。
事業が順調であれば、派遣社員を増やせばいいし、成長が鈍化してきたなら、派遣社員の契約を更新しなければいい。

こちらのほうがよほど自然だ。
技術革新が著しいこの時代において、ある事業部門そのものが全く採算性がなくなることだってある。
そうしたときにアメリカであれば部門ごと閉じて従業員をレイオフしてしまう。
日本はこれができず、赤字を垂れ流しながらも事業を継続しようとする。
ナンセンスだ。

この労働格差問題を解消したければ、正社員を増やすのではなく、逆に正社員という雇用形態を無くすか、解雇要件を大幅に緩和するしかない。
冷静にパフォーマンスでみて、会社に貢献しなければ解雇してよいとする。

その代わり、社会にもそうした解雇者を落伍者と見るのではなく、ただ単にその企業と相性が合わなかったと見るだけの土壌が必要だ。
一朝一夕にはいかないだろうが。

日本な正社員の解雇コストが高過ぎる。



posted by tom at 12:34| Comment(0) | 思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月26日

橋下徹 VS 苫米地英人 悪質なテレビ編集

2017年1月の橋下徹氏の番組で、橋下氏は苫米地英人氏と討論をしている。
二人とも論理性で売っている著名な論客なわけで、興味深さから視聴した。

ディベートではないけれど、純粋に文字に起こして論理性だけを追ったならば苫米地氏の勝ちだろう。
ただし多くの人はそうは思わないのではないだろうか。

橋下氏は自らがテレビにどう映っていて、どういう風に話せば視聴者が納得性を持つかというのを熟知していて、それを徹底的に使いこなしている。
なので終始橋下氏のほうが落ち着いていて、的確にゆっくり内容を吟味しながら話しているように見える。

けれど中身はそうではない。

一番顕著なのは、政治家は100年後、200年後のグランドピクチャーを描くのが本来の仕事で、それはテレビでガンガン言っていい、という苫米地氏に対して、最初にそれは言ってはいけないと言ったじゃない、と失笑まじりに反論する橋下氏。
ここで討論は終わる。

しかもテロップでデカデカとこの流れを出して、あたかも苫米地氏の意見が一貫していないかのような編集をする。

苫米地氏はそんなことは一度も言っていなく、政治家は一つの政策等について強く言うのは避けてほしい、と言っているだけに過ぎない。

ただこれも苫米地氏が早口過ぎて注意深く聞いていなければ聞き流してしまいそうな部分ではあるが。

ディベートでは大いに有利になる早口も、こういう素の討論では聞いている側に、この人は感情的にまくしたてていると思わせて不利に働く。
実際、苫米地氏はかなり早口でまくし立てて喋るので聞き取りにくい。

司会が有能なら議論の錯綜を補正できたろうが、ただのアナウンサーであったため、終始議論は平行線のまま進む。

そして悪質な編集により、橋下氏が勝利したかのような印象で討論は終了する。
視聴者を誘導したい意図がみえみえで、何とも不快な編集だ。

もっと有能な司会を立てて、それぞれの話し手の述べていることを即座に理解してもらい、議論が噛み合うよう誘導してほしいところだ。





posted by tom at 05:32| Comment(0) | 思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

成長がないと人生は退屈極まりない

人生がつまらない、退屈だ、そう感じたら足りないのは成長だ。

遺伝的に人間は成長がないと不満を感じるようにできている。
そういう仕様なのだ。

だから安定しきったなんの成長もない生活を送っていると不満を感じてしまう。

成長のためには変化が必要だ。
変化すれば何でもが成長につながるわけではないが、変化しなければ決して成長はできない。

そういう意味では変化を嫌うとそこで成長が止まり、退屈な人生が始まる。

外部要因による強制的な変化はそうそうあるものではない。
退屈な人生が嫌ならば、自らの手で変化を起こす必要がある。

転職もそうだし起業もそうだ。
仕事関連だけでなく、引越しなど居住環境を変えるだけでもいい。
これまで見向きもしなかった投資に手を出してみるのでもいい。
何かしら自らの手で変化を起こし続けなければ人生は面白くはならないのだ。


posted by tom at 11:38| Comment(0) | 思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

労働生産性の罠

日本の労働生産性がG7最下位だと先週ニュースに出ていた。
日本の労働生産性が低いことはずっと言われていることで、だから生産性向上、効率化ということがスローガンのように言われ続けているのだけど、これに関してはいつも疑問だ。

そもそも労働生産性の定義が単純過ぎる。

OECDで使われている労働生産性は購買力平価でならした各国のGDPを就労人口で割ったものに過ぎない。
ということはGDPをそれほど変えずに就労人口が大きく減れば労働生産性は上がる。

これは何を意味するのか。

日本は正社員を解雇することが容易ではない。
例えある事業の採算性がなくなり事業ごと閉鎖したい場合でも、アメリカのように一律レイオフというのができない。
この部分を変えない限り、労働生産性など上がろうはずもない。

そもそも上記のような定義の労働生産性を上げる必要はあるのか、という問題もある。
容易に解雇されないなら労働者にとっては喜ばしいことかもしれなくて、例え国全体で見て労働生産性が低いと国際社会から言われたところで、労働者個人単位で見たらそんなことはどうでもよいことなのである。

一つ言えるのはこういった生産性の低さの指摘を受けて、じゃあ効率的に働こう、とするのは全くナンセンスということである。

効率的、つまり単位時間あたりの仕事量を増やしたところで、労働生産性は向上しないからだ。

効率的にGDPを増やしていこう、という議論ならまだ分かる。
本末転倒な気もするが、それをやるならGDPが増えやすい産業形態、例えば金融業、などに国全体の主体がシフトしていくくらいしかない。

製造業が多く、そしてそれら製造業がどこも青色吐息な日本がOECD定義の労働生産性が低いのは当然と言えば当然なのである。
不採算部門をヒトごと閉められないなら、必然だろう。








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2016年09月28日

プログラミング必修化は非常に残酷

少し前ですが、文部科学省が2020年から小学校でのプログラミング教育の必修化を検討すると発表しましたね。

知的行動の中でプログラミングほど適性が分かれる分野も珍しいです。
相手がコンピューターですから、他の科目のようなファジーさは一切許されないですし、高度な論理的思考力が要求されます。
これを小学生時代からやらされた日には、適性がない人はたまったものではありません。
プログラミングは、理数系が苦手なお子様はだいたいが適性がないでしょうから、おそらく半数以上の人に適性がないでしょう。
事実そういった調査論文も出ています。
適性がない人はいくら時間をかけようがその分野の能力が大きく向上したりはしません。
理数系が苦手、論理的思考が苦手、そういったお子様方には受難の時代といえるでしょうね。
このような苦手科目に足を引っ張られては得意科目に割く時間も減ってしまうでしょうから。

プログラミング必修化で恩恵があるとすると、プログラミングに強い適性のある人を早期に発掘できるという点でしょうか。
類まれなるプログラミングの才能を持ちながら、プログラミングに触れてこなかったがためにその才能を発揮できなかった人を減らす、ということです。
でもそんな天才はごくごく一握り、そのためにその他の多くの人間に苦痛な時間を強いるのはとても酷ですね。
マクロな視点で見て国家戦略としては正しいのかもしれませんが、多くのプログラミング難民を生みだすことは想像に難くないわけで、なんとも残酷な施策です。









posted by tom at 04:55| Comment(0) | 思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月11日

資生堂ショック、批判している人達は本気なんだろうか

いわゆる資生堂ショックが最近テレビに取り上げられてから、注目されている。

資生堂の方針転換は2014年のことだから1年以上前のことなのだけど、今まさに話題再燃という感じ。

ネット上では批判的な意見が多い。

マタハラだとか、体のいいリストラだとか、少子化に拍車をかけるとか。
だから資生堂製品はもう買わないとか言い出す人までいる始末。
さらにひどいものになると制度が破綻しそうなら、人をもっと雇えとか、託児所を各店舗に作れとか。

ほんとこういう人達は何なんでしょうね。
企業のことを何だと思ってるんでしょう。
説明するまでもなく、企業は営利団体で利益を出すことが至上命題なわけです。
コスト的に見合わないと思ったら制度を変えるだろうし、会社の方針だって変えるわけですよ。

この決断も売り上げ不振に悩んだ末の苦渋の決断でしょう。
調べてみると資生堂は子どものいる社員が働きやすいようにものすごく制度を整備しています。
それがちょっと方針を変えただけでこの批判のされよう。

この方針転換を批判している人達は今一度考えてみてください。
企業の経営が傾こうが、独身者からの不満が噴出しようが、巨費を投じてこの制度を維持すべきですか?
子どものいない方へしわ寄せがいこうが気にしないのですか?
体のいいリストラだと批判している人、企業の業績が悪くなったらリストラをするのは至極当たり前のことではないですか?
うまく回るように人を雇えと言っている人、会社の経営が苦しくなってきているのに追加出費をしてまでこの制度を支える必要がどこにありますか?
新しく人を雇うことのコストとリスクを考えたことがありますか?
新しく人を雇うよりは現行社員の戦力をアップしたほうが遥かに効率的ですよ。
少子化に拍車をかけると批判している人、それを対策するのは国であって一企業体である資生堂の役割ではありませんよ。
これらのことを考えるのは企業の上層部や国の仕事だ、私は知らん、でも現行制度の改悪は許さん、と言っている人々が多すぎます。

そもそも企業の制度が合わなければ辞めればいいだけの話です。
なぜそこまでして働くのでしょうか。
共働きでなければ生きていけない?そんなものは個人の都合でしょう。
生活レベルを落とせばいいのです。
あるいは自宅で稼げる方法を模索するなり短時間アルバイトするなりすればいいでしょう。
誰かを犠牲にしなければ成り立たない生活など、そちらのほうがおかしいわけです。
自らは何の努力もせずに制度の改悪を声高に批判しまくるあたりこの問題の根っこは生活保護などの社会保障制度改悪への批判と同じものでしょうね。
俯瞰的、論理的に考えられず、目先の自分の利益が減ることに感情的に反応する、構図がそっくりです。
高齢者が大半を占めるようになる今後の日本ではこの症状が加速することは目に見えているわけで、何とかしなければ沈みかねないですね、日本は。




posted by tom at 12:17| Comment(0) | 思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月08日

「1億総活躍」に強い拒絶反応、活躍などしたくない

安倍内閣の新スローガン「1億総活躍」に強い拒絶反応を覚える。
こんなスローガンを出すとはセンスの無さを露呈しているようなものだ。
ネットの反応を見ても評判は芳しくなさそう。

そもそも1億人を十羽一絡げに「総」などと括られてしまうことに多くの人は反感の念を抱くはずだ。
人は誰しも自分は他人とは違うユニークな存在だと信じたいのだ。
特に価値観の多様化した現代においては尚更のことだ。
さらに活躍などせず平穏に暮らしたいと思う人も多いだろう。押し付けがましく「活躍」を強要する部分にも強い不満を感じる。

菅官房長官の、産んで国家に貢献を発言といい、この政権は言葉や表現に対する配慮が足りないように感じてならない。



posted by tom at 16:46| Comment(0) | 思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月30日

雇われて働くということ

雇われて働くというのは安定の代償として仕事に関する自由をほぼ手放すということですね。
※もっともそこで得られる安定も完全なものではないですが。

でもそれが悪いことかというとそうでもなくて、多くの人にとっては行き過ぎた自由というものは苦痛を伴うもので、だから自分の人生に指針を与えてくれる組織なり何なりを必要とする人も多いわけです。

雇われて働くと、仕事という人生の多くを占めるパートにおける重要な決定のほとんどを半ば他人に委ねてしまうことになります。
これがいいことなのか悪いことなのか。それは個人個人の特質次第です。
ですが、雇われて働くことの意味を理解した上でそのポジションをとるかどうかは選択する必要があるでしょうね。
その意味を考える一助になるかもしれません。




posted by tom at 07:03| Comment(0) | 思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月02日

解雇自由化こそが日本活性化への道

日本では企業は容易に正社員を解雇することができない。

このことが日本経済に、日本社会に、極めて大きな影を落としている。

容易に解雇できないから、企業は採算のとれなくなった部門を一気に閉鎖、ということができない。
何とも愚鈍な経営にならざるを得ない。
結果、日本の企業は新規分野への参入に二の足を踏まざるを得ない。
容易に撤退できないからだ。

さらに問題なのは、容易に解雇できないので、雇用の流動性が著しく低くなり、一度得た正社員という立場が既得権化し、人々がそれに固執するようになることである。
そうなるとますます雇用が固定化し、正社員になれなかった人間はその階層に固定化されてしまう。
本来であれば正社員でなくとも、仮に職に就いていなかったとしても、セーフティネットのしっかりしている日本においては、それが即生命をおびやかす事態にはなりにくいのだが、日本という国の特殊性で、きちんとした職についていなければ人間として劣っているような感覚を持ってしまう。
そしてそれが不幸な自殺を生む原因になっている。
日本特有のものすごく不快なこの同調圧力のせいで、日本社会はなんとも生きにくいものになっている。
本当はその企業で働きたくないが、一回手にした正社員という地位を手放したらもう二度と手に入らない、そう思ってその地位にしがみついて働いている人も多いだろう。
そうした人間が企業で革新的な成果を生み出せるとは到底思えない。
本人にとっても企業にとってもそういった人間には辞めてもらったほうがいいのである。

そこで出てくるのが解雇の自由化である。
解雇要件の緩和、という案も出ているが中途半端で、もう経営者の自由に解雇できるくらいでいいだろう。
そうすることで一番期待できる効果は、正社員でない状態、職に就いていない状態というのが何も珍しいことではなくなる、ということだ。
これが日本という社会をより生きやすい国にするために一番大きい要素になる。
おそらく失業率はもっと上がるだろう。アメリカを優に通り越してヨーロッパ諸国並みの10%、15%までいくかもしれない。
でもそれでいいのである。
この世界一と言っていいほど成熟した現代の日本という国において、労働可能人口の95%以上の人間がフルタイムで働いているなど、そちらのほうが異常である。
週5で1日8時間以上働く、こんな経済成長真っ盛り時代と同様の労働スタイルはそろそろ転換期に差し掛かっている。
正社員でない状態が珍しい状態でなければ、無理してその地位に固執する必要もないし、数年働いて数年休み、また必要になったら働くという、より人間らしいフレキシブルな働き方も可能になる。
一度社員として雇われたら40年は働く。刑務所ではないのだから、こうした働き方のほうが異常だと気付くべきである。

こうした議論をしていると必ず出るのが、解雇を自由化したら、労働者が使い捨てにされる、とか解雇された人間の家族はどうなる、とかそういったことを言い出す人がいる。
そういった人は大きな勘違いをしている。
そもそも企業は利益を出すのが目的であって、誰かの雇用を保障する義務など負っていないのだ。
労働者が使い捨てにされるというが、有能な経営者であれば人材に投資して、有用な人材ほど社内に残ってもらうよう画策するはずだ。無能な人材はすぐに解雇されても全く問題がない。そんな人を雇い続ける義務が企業にあると考えるほうが間違っている。
もし仮に人を雇っては短期間でどんどん切るような経営者がもしいたとすれば、すぐにそういった企業は淘汰されるであろうから問題ない。
つまりより市場の自由に任せるべきということである。

解雇自由化はぜひ早急に導入してもらいたいが、こうした話題には論理的思考を働かせず感情的に拒否する人が多くてなかなか難しいだろう。
よほど政治的基盤が盤石でなければ、どの政党も手を出せないのではないか。
解雇自由化が実現すれば本当に必要な労働だけが残り、雇用の流動性が増して労働者はより自由に働けるようになる。解雇が自由にできるということは、企業は業績に応じて積極的に人員を増減させるだろうから、採用の機会もまた増えるということになる。雇用の流動性が高まれば、正社員などという地位に固執する必要もなくなる。もちろん能力に応じて全く職にありつけない人もいるだろう。しかしそれは本来であれば自己責任なのであって、資本主義社会に生きている限りにおいては能力の多寡に応じて収入が変わってくることは当然のことなのだ。どんなに能力がなくても、単純なアルバイトくらいは務まるだろうし、最後の最後のところでは生活保護というセーフティネットがあるのだから、何も恐れることはない。
反対する理由が全く思い当たらないが、それでもアレルギー的に反応してしまう労働者は多いのだろう。
非常に困ったことではあるが。


posted by tom at 21:15| Comment(0) | 思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月14日

スタバのアイスコーヒーとシロップの相性について

スタバでは下記のシロップを50円で追加できる。

・クラシック
・バニラ
・キャラメル
・ヘーゼルナッツ
・モカ
・ホワイトモカ
・チャイ
・バレンシア(夏限定)
・ジンジャー(冬限定)

夏本番ということで、アイスコーヒーにこれらのシロップを追加した場合に、合うか合わないか、記載しておく。
(冬限定のジンジャー除く)

◎とても合う
・バレンシア
アイスコーヒーとの相性は抜群。爽やかなフルーティーテイストになる。おいしい。

・ヘーゼルナッツ
バレンシアほどではないが合う。おいしいが結構すぐに飽きてしまうかもしれない。
トールサイズくらいまでが無難か。

◯まぁまぁ合う
・ホワイトモカ
とても甘いが合う。甘いのが好きな人ならいけるはず。
透明なシロップではなく、入れると色が茶色に変わる。

・クラシック
ほんのり甘くなるくらいでちょうどいい。ガムシロップほど甘くはない。

△あまり合わない
・キャラメル
ほとんど味がしない。入れる意味は薄い。

・バニラ
少しビターなシロップ。若干バニラ風味になるかな、といったところでこれも入れる意味は薄い。

・モカ
薄いチョコ味になる。失敗したココアのようでおいしくない。
これも透明なシロップではなく入れると茶色くなる。
やたら粉っぽい。

×とても合わない
・チャイ
絶望的に合わない。入れるともはや別の飲み物になる。
喉奥がピリピリし、コーヒーの味など全くしなくなる。

圧倒的にバレンシアをおすすめする。
アイスコーヒーがとてもおいしくなる。


posted by tom at 00:00| Comment(0) | 思考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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